長谷川智恵子教育委員の「障害のある子どもを減らしたい」発言に思うこと

私自身は中途障がい者。子どもは発達障がいで生まれつきの障がい児です。

特別支援学校を視察して「教職員も多くてお金がかかるだろう。出生前診断で間引きしたほうがいい」と簡単に言えばこんな発言をしましたよね。

私思うのですが、障がい者の当事者の方は、意外と憤っている方は思っているよりは少ないんじゃないか?と思います。(思っているよりは。ですよ)

 

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年寄りは障がいに対する理解が少ない人が圧倒的

他人に関心がないというのもあるのかもですが、若い人から聞こえよがしに
「あの子頭ヘンなんだね」といわれたことは、うちは今まではありませんでした。

言ってくるのは総じて年寄り婆さん。お歳を召したご婦人たち。

 

障がい児を抱えて生きていたら、このくらいのことはもう経験済みなんですね。

今頃「障がい児と接したこともない年寄り婆さん」が、偏見の一言二言を言ったからといって

当事者としては
「ああ、婆さんだからね。仕方ないんじゃない?」と思ってる人が多いんじゃないかな?

 

障がいのある子を減らすなら、病気で苦しんでる人に安楽死を選択させてほしい

これは完全に個人的な意見といいますか、私自身が望んでいることなんですけれどね。

 

どうして「障がいのある子」が「嫌われる(表現おかしいですが」というと

「お金(税金が)がかかる。その割にリターンが少ない」と思われてるからだと思うんですね。

 

言いたいことはよくわかります。うちは2人とも障がい者ですから?

私は申し訳ないけれど、今、健常の頃より税金面は貢献してるけどね。

 

でもそれ言うなら「過剰な医療を施さなければ寿命を迎えたはずの命」も同じことになってしまいませんか?

若い、お年寄りに限らずね。

 

私はですよ。ただワタシ個人の意見ですよ。

そろそろ「自分で死を選ぶ権利」があってもいいんじゃないか?と思ってるんです。

 

倒れてから家族に聞くとかではなくて、

元気なうちから全員が「どういう最期を迎えたいか」ということを文書化しておく。

 

例えば、なな自身は、もし脳卒中になって倒れました。

1時間以内に病院に搬送すれば命は助かります。2時間放置したら亡くなってしまいます。
という状態だった場合。

私は搬送しないでほしいんです。そのまま寿命を迎えたいんです。

 

意識がはっきりしていて、超苦しいとかのときはもちろん助けてほしいけど!

意識を失って倒れて、自分の意識では苦しさもほとんどなく、2時間後に死を迎えられるのなら、そちらを選びたい。

結局命が助かっても「障がい者」になるわけでして。。

 

準寝たきりの障がい者から健常に向かおうとしている今、

私はもう一度「障がい者」になる勇気や気力はありません。

 

「障がい者になる」って健常の頃考えてた1000倍以上大変でした。

 

今生きている障がい者をうんぬん言うよりも、

長谷川智恵子おばあちゃんには、多分自分が数年後に訪れるであろう

「自分が障がい者にならずに死んでいく」方法、つまりは安楽死のほうを真剣に考えてほしいと真面目に思っている私です。

具合の悪い時によく読みました。過ごし方など参考になりました


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