パニック障害が劇的によくなった!自分で考えてみた理由
え?外出不安や体調不良が残ってるのに「劇的によくなったの?」って?
はい(*´∀`*)自分の感覚では「劇的」と言っていいほどよくなりました^^
だって、一年前はまだ家事をするのもそこそこ辛かったし、何せ「話す」ことが億劫で仕方なかった。レジャーの外出なんて本当に「訓練」という状態でした。
(今も「訓練」ですけれど^^;)
そんな状態から一気にいい方向に向かっていった、自分なりに「よかった」と思うことを書いてみたいと思います^^
子どもが劇的に明るくなったのを見て「自分がよくなっている」ことに気がついた
それこそ、病中は本当に「父親ベッタリ」で、今思い返すと、私とは、必要な会話しかしてなかったような気がします。
とにかく「話す」ことがしんどかった。「うんうん」と聞くことしかできなかった。
ましてや、発達障害の我が子の「独特なしゃべり」についていくことができなかった。
本当に申し訳なかったと心から思う。
病院を変わって、ジェイゾロフトを飲み始めて3ヶ月くらいかな?
ふと「話すのがさほど苦じゃなくなってる」ことに気がつきました。
それどころか、子どもの会話を楽しみにしてる自分がいた。
それに比例して、子どもがどんどん明るくなっていった。
今は「独特のしゃべり」がかわいくて面白くて仕方ない。
一番話を聞いて欲しかったであろう、2~3年生に、一番ひどい状態になってしまったのは、本当に申し訳なかった。
だからこそ、これからは、子どもに自分なりの全力を注ぎたいと思う。
その時その時で、自分なりの「全力」だったけれども、子どもに寂しい思いをさせていたことには変わりないから。。
子どもがいたから。母でなくてはいけなかったから。だから治ってきたと思う
「私は子どもがいないから治らないんだ」とか、どうか否定的に捉えないでください!
本来ならば、子どもがいない方が治療には有利だと今も思っています。
体がつらくなったら休む。調子のいい時は動く。
これは医師に言われ続けていることですし、私も心がけていますが、子どもがいるとそうもいかないんです。
体の辛い時に参観日になったときのあの体と心の辛さ。。
パニック障害だから、役員は外してください。というわけにはいかない事情。
夫の仕事の日の土曜日に限って辛い。。。
子どもがいることで無理を重ねてきたことは本当に書ききれないです。
ただ「私の場合」はですが、そうやって無理をして動いたことが逆によかったのかな?とも思っています。
貝谷先生の本に「家事を手伝うことから始めてみましょう」とありますが、
私の場合は「つらいときは休みながら家事をする」わけにはいかなかったんですね。
ほら、実家や一人暮らしですとそのようにできますでしょ?
でも「子どものご飯を作らない」ということを、何日も繰り返すわけにいかない。と思っていたのでね。。
その中で「完璧じゃなくていい」ことを体得していけた
例えば、前の私なら
「断薬すると決めたからには、例え立てなくなろうとも、後戻りなど絶対にしてはならない!」
「外で発作が起こるなど、怖すぎて絶対に防がなくてはならない」などなど。
すべての出来事に対して、そのように思っていたような気がします。
でも、少しずつ、
「後戻りしてもいいんじゃない?具合悪くなってもいいんじゃない?」と思えるようになってきました(*´∀`*)
100%悟ってるわけじゃないですよ。やっぱり具合悪くなりたくないですよ。
でも「絶対」はこの世にないんじゃないかな。
もっとゆるく生きてみていいんじゃないかな。
こうやって思わせてくれたのも他でもない我が子です。
「遠いところにみんなで行ってさ、お母さん具合悪くなったら帰ってこなくちゃならないじゃん?」と言ったら、
「帰ってこればいいんじゃない?」と我が子はすぐに返してくれました。
ああ。家族はそうやって受け入れてくれるんだ。と思った時から、一気にレジャーに行ける幅が広がりました。
2年前の障害者手帳取得のときは、車で10分程度の公園すら行くのが難しかったほどの、強烈な外出恐怖と引きこもりの日々から、一歩抜け出せた日でした。
転院で適切な薬に変更できたこと。そのおかげで体調もよくなり、すべてが好転してきました!
転院が去年の10月。まだ1年経っていません。
この数ヶ月で、転院前の2年分くらいよくなった感じです(*´∀`*)
絶対よくなるんだ!という気合もあったけれど、転院して薬を変えて、本当によくなるんだろうか?という不安も当然ありました。
でもこんなによくなりましたよ!
具合の悪い時によく読みました。過ごし方など参考になりました
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